ゼロの使い魔 ハルケギニア茨道霧中
第四話「野心の在処」




 リシャールは両脇を祖父と義父に挟まれて少々居心地の悪さを味わいながら、テーブルを挟んだ向こうの宰相に対して一礼した。マザリーニが教師で両脇の二人が保護者……授業参観で宿題を発表しているようだなといらぬ想像をしたが、残念ながら気が紛れるわけではない。

「ルイズから二、三日後に王都に来ると聞いてな。丁度良いのでエルランジェ伯もお誘いしたのだ」
「お主はいつもの通り、宰相閣下に報告すればいいて。
 多少はこちらから口を挟むことも……あるかも知れんがの」
 出会い頭に両脇をしっかりと固められたので逃げようもないが、幸いにして、義父の機嫌は悪くないらしい。以前ほど宰相に隔意を持っていないのか、仕事と割り切って私情は持ち込まない主義なのか。あるいは収監されたリシャールの救出に望まぬ共闘をした結果、幾らかわだかまりが解けたのか。対して祖父は今ひとつ表情が読めないが、楽しげにも見える。マザリーニは『おまけ』を連れて入室したその時に眉を一つ上げただけで、各々と挨拶を交わした後は普段通りの様子であった。ちなみに鞄持ち兼護衛として王城についてきたジャン・マルクとジネットは別室に控えていたので、この場には居ない。
 ともかくも時間を割いて貰っているのは自分なので、定例となっている街道工事の報告から片づけて行く。
 各方面の進捗状況や前月までに費やした予算や人員、新たな問題点とその解決策など、時折三人から質問や確認がなされるが、その場で回答できるものは答え、保留せざるを得ない質問は別紙に控えておくことにした。
 
「……以上のように、街道工事の進捗状況は当初予定を大幅に上回っておりますが、セルフィーユからゲルマニアのツェルプストー辺境伯領へと延びる道は山がちであり、生じた余力を投じても大幅な工期の短縮は難しいものと考えられます。
 更には予算の都合もありますので、リールおよびハーフェンへと通ずる街道の拡幅工事は計画よりも前倒しでの完成が見込めますが、現在のところ、全体としては予定通り工期八年予備二年、として報告させていただきます」
 報告はこのあたりまでかなと、リシャールは一礼をして席に着くことにした。若干場の空気が変わる。
 さて、次は領内の方の報告かとリシャールは頭を切り換えたが、自分以外の三人が目配せをするのを見て、表情を引き締める。場の空気が変わったのは、決して気のせいではないだろう。
 義父と祖父だけが目を合わせたのであれば、宰相に対しリシャールの負担について何か口に出したいことでもあるのだろうなと想像がつけられる。実にありそうな話だ。だが、その目配せに宰相までが混じっているのは何故だろうか。
「リシャールよ」
「はい」
 黙したまま報告書を眺めるマザリーニにもう一度横目を向けてから、ラ・ヴァリエール公爵はリシャールに向き直った。
「前にも一度聞いたかもしれぬが、予算の方は大丈夫なのか?
 今の説明では日割りで三百エキュー、休日を勘案しても年に大凡十万エキューを拠出していることになっている。
 以前はともかく、収支の均衡が崩れざるを得なかったのではないか?
 新たに拝領した領地、そちらにも大きな投資が為されていると聞き及ぶ上、工場の方も本格的に稼働し始めたそうだが……。
 そのあたりはどうなのだ?」
 リシャールは公爵の求めにそのまま答えようとしたが、ふと宰相の視線を受けて口をつぐんだ。
 祖父は良いとしても、宰相がいるこの場でこの内容の質問を公爵がしたことの意味に、不審を覚えたのだ。
 この三人とは、謀り謀られるような関係ではないと断言できる程度には信用も信頼も築いている、とリシャールは思う。無論、立場の違いから意見が相違する場合もあろうが、今は三人対リシャールという図式が描かれていた。また別の背景や事情があるのだろうが、リシャールに何かが求められていることだけは想像がつく。
 それでも、あまり長くだんまりを決め込むわけにも行かず、リシャールは口を開いた。仮にこの場にいる以外の誰かが聞いていても問題のない発言を心がけようと、頭を働かせる。それが身を守る行為に繋がるはずだった。
「はい、次に報告する予定の領地開発についての報告と内容が重複する部分もありますので、このまま続けてもよろしいですか?」
「うむ」
 祖父と宰相も軽く頷いたのを確かめて、リシャールは先を続けた。
 自分用の資料である報告書の写しをテーブルに広げ、義父らが手に取れるようにしておく。
「前年度も収支そのものは若干の黒字でありましたが、資金繰りが上手くいかず、一時的に銀行より借り入れを行いました。
 今年度の大まかな予想も……先に述べておきますと、借財についても折り込み済みで、全体としては若干の黒字になるように調整はしてあります」
「ふむ」
「現在の状況ですが、税収および狩猟、漁猟、借地の権料などの雑収入にて得られる予定の収入と、家臣の給与や庁舎など領政の予算、領軍やフネの維持費などの支出、この両者はほぼ均衡しておりますので、領主である自分としては、基本的なことながら基礎となる税収を伸ばし、支出を抑えること、これを目標にしております」
 残念なことに、維持は出来てもそれ以外の予算は税収以外から持ってこないと回らないのが、今のセルフィーユであった。人件費と軍事費、特に領空海軍が予算を圧迫している。展開を急ぎすぎた多角経営企業のようなものかもしれない。
「領内の産業、特に新たに得た領地を中心に農具や漁船の貸し出し、開墾や整備、仕事の斡旋なども行っておりますが、まだ手を着け始めたばかりで、結果が出るのはもう少し先になるかと考えております。
 こちらは個々の費用は少なく済むのですが、村ごとに聞き取りを行って村長にまとめさせるなど、手間が幾分かかるのが難点です。
 しかし放置するわけにも行きませんので、今のところは対処療法的に持ち上がった問題に手を着ける形になっております。
 大きい投資としては街道工事の内、新領内を通る部分を優先させたことで、全体の支出を大きく変えずに新領地の領民に対して給金の大きい職を与え、農繁期前に一息つかせることが出来ました」
「街道の工事費用は、確か商会が飲み込んでおるのであったかの?」
「はい、街道の工事については……少々強引ではありますが、セルフィーユ家の持つ鉱山の権利を無償で貸し与え、対価として街道の工事に従事させるとしてあります。
 実際には私が掌握しておりますし、現会頭は筆頭家臣です。丁度、王政府と官営の工場の様な関係でありましょうか」

 トリステインでは、大きなものでは王軍の造兵廠や空海軍の造船所から、小は王家専用の銘柄のワインを造る為の葡萄畑とそれに付随する醸造所まで、王家や王政府の管理する官営の生産施設は多岐に及ぶ。領主が持つ鉱山や私有の畑、牧場、山林、あるいは商船などもこれらと似たようなものだ。ただ、直接に商業を主業務とする商会を持ち、自ら商売を行う王侯貴族はまず居ない。この国では主に外聞と矜持の問題で、貴族が自ら商業に精を出すのは憚りのあることとされていた。
 隣国ゲルマニアではもう少し柔軟で、金で爵位を購える彼の国のこと、商人として成功することは平民が貴族になる近道ともされている。同時に杖をもたぬ貴族を多く産み、他国から一段低く見られ揶揄される原因の一つともなっていた。しかし本来は杖で魔法を放つ才と、領地を経営する能力に関連性はない。それこそ、商売と領地経営の方が余程関連があるのだ。ゲルマニアの国力が伸長する隠れた要素、と言っても差し支えあるまい。
 だが、貴族社会をそこまで開かれたものにしているような国は、ハルケギニア中を見回しても殆どなかった。始祖の直系を受け継ぐ大国は数千年来の伝統を重視し、帝政ゲルマニアと、その影響力が大きい幾つかの小国で僅かに平民出身の貴族が見られる程度だ。
 故にリシャールはラ・クラルテ商会の会頭を降りたのだが、諸侯が領民の商売を後押しすることには余り口を挟まれないのが通例だった。殖産興業を掲げて領地を発展させることは、諸侯の本分とされている。武器工場や製鉄所を子爵家所有の官営工場とせずにラ・クラルテ商会の物としたのは、万が一の転封に備えてのこともあるが、やはり外聞も気にしてはいた。
 領内に港を持つ領主が領民に船を用意したり、あるいは土地を持たぬ貧農に農地を貸し与えたりすることも、広い意味ではこれに当たる。横槍もあるにはあるが、領内に手を出せるのは領主のみ、余所の貴族が何を言ったところでやっかみにしかならなかった。
 どのような理想を掲げようとも、領地の経営に関して最後にモノを言うのは、何処も等しくカネなのである。

「街道工事の費用については、商会の所有する製鉄所の利益によって主に賄われております。
 初期にはセルフィーユ家から予算を持ち出す比率も高く、財政を圧迫しておりました。
 しかし、現在ではその大半を商会が引き受けており、今後は生産された鋼材をそのまま売り渡すのではなく、加工品にしてから売ることで増益を目指す予定です。
 一部は既に実行されておりますが、まだ多くはありません」
「そう言えば、お主の所ではマスケット銃や大砲も造っておったな」
「はい、あれらもその一環です。
 単なる鉄材や鋼材として延べ棒のまま売るよりは、鉄製品として売れば、加工費用と売値の差が利益が上乗せされます。
 新たに加工した鉄板や針金などに手を着けたいと考えていますが、鎌や鍬などの農具や包丁や鍋釜などの生活用品は、かなり以前より売りに出しております。
 フネの代金に充てる為、売り物を確保できない状態にあった銃砲の販売も軌道に乗りつつありますが……」
「うむ?」
 少々もったいぶって言葉を切り、リシャールは大きく息を吸い込んだ。
「こちらは少々特殊な位置づけで、売れ行きに波があることもあって領内の会計や予算とは切り離してあります。
 しかしながら……切り離してあるが故に、銃砲関連の税収はそのまま当家に残ります」

 例えば、ラ・クラルテ商会で生産されるマスケット銃の売価は、一丁三百エキューとしてあった。
 このうち、職人の給料や原材料費などを合計した製造原価が約百六十エキューで、粗利益は残りの百四十エキューとなる。この粗利益より領税二割と商税二割の合計四割百二十エキューが納税され、ラ・クラルテ商会には差し引き二十エキューの利益が残る。王都の武器商人へと押しつける場合には少々値引かれ、酷い時には一丁二百エキュー程度にもなった。
 ちなみにこれらラ・クラルテ商会が得た利益は、施設の拡充や新事業への投資、あるいは街道工事の費用や給金の不足分へとまわされた。

「この税収は王政府に納める税や、借財の返済に充てる予定です。
 特に今年は銀行からの借り入れもありますし、フネの購入時にアルビオンへと納品したマスケット銃七百五十丁分、この取引が今年になって成立していますから、その分も考慮しなくてはなりません。
 幸いアルビオンのウェールズ殿下からの引きがありまして、公館を通して注文が入っております。生産量を予約が上回っておりますので、暫くは堅実に利益を上げられるでしょう。
 金額が大きい割にほぼ手元に残らないのが困りものですが、このようにして、何とかやりくりしております」
 これ以外に、公務が終わった後に行う錬金鍛冶による収入もセルフィーユ家としては無視できない下支えになっているのだが、そのことは口にしなかった。

 無論リシャールの目の前にいる三人は、彼の言葉を額面通りには受け取っていない。
 先に示した四割の税収はセルフィーユ家の収入となるが、先日までのアルビオンへの納品時のような増産体制を取らずに月産百丁と仮定しても、その金額は年に千二百丁分ならば税は十四万四千エキュー。短銃や大砲などを含めない余力のある状態で、この数字が出せるのである。
 リシャールの言葉通り、今年はかなり苦しい状況であろう。
 だが来年以降は王政府に税や貢納金を納め、親族らからの借財を考慮したとしても、おそらく数万エキューは彼の手元に残るはずだ。
 そのことに気付かない三人ではなかった。

「なるほどな。
 ……お二方も宜しいか?」 
「ふむ、セルフィーユ伯爵家は順調であるようですな」
「そのようですのう」
 公爵は二人に確認を取ってから見ていた書類をとんとんと束ねて揃え、視線をリシャールに戻した。
「ところで、話は変わるが……」
「はい、公爵様?」

「お主は一体、何処を目指して居るのだ?」

 確かに話が変わりすぎだ。
 心中で一言呟いてから、リシャールは姿勢を正した。こちらを見る三人の目が、意外な真剣さを帯びていることに気付いたからだ。
「すまぬな、質問が漠然に過ぎたか?
 ……順を追って話そう。
 お主は一昨年家を興し、現在では爵位も伯爵となった。
 次々と領地も増えてその経営も順調、新たに領空海軍をも創設しているほどだ。
 様々な後押しがあったとしても、諸侯としてはほぼ望みうる限りの立身出世を絵に描いたような栄達振りであるな」
 我が事ながらハイペースに過ぎる。
 リシャールは、半ば他人の人生の縮図を聞いているかのように思った。爵位は男爵で十分だったし、領地も……あればあったで困りはしないが、子爵領時代の旧領のままでも狭かったという覚えは全くない。
「だがな、今ひとつ見えてこない部分がある」
「……」
「お主の野心だ」
「野心、ですか!?」
「セルフィーユ伯爵、私もその点が疑問でありました」
 今度は宰相だ。祖父はオブザーバーに徹しているのか、切り込んだ発言はここまでなかった。
「公爵の仰るように貴殿は領地を良き形で治め、経済にも明るい」
「なるべくならば、そうありたいと願っております」
「敢えて直裁な表現で申し上げるが、表向きはともかくも、貴殿がご商売に熱心であられることも間違いない。
 ……そうですな?」
「はい」
「しかしながら、貴族社会や中央の政には今ひとつご興味がない……いや、敢えて避けて居られる節が見受けられますかな。
 貴族社会での影響力を持てば、貴殿ならばご領地の近隣だけでなく、それこそトリステイン中を商圏とすることも可能でありましょう。それに気付かぬ貴殿ではないはず。
 相手にも過不足無い利益を握らせる形で、商取引を上手く導かれるのでは?」
「……条件次第では、出来無くはないとは思います」

 買いかぶられているなとは思うが、無理ですとも言い辛い雰囲気だった。理想的な将来の予想図として、幾らかはリシャールも考えていることである。
 何もこちらから売るばかりが商売ではなかった。市場を提供して利潤を上げるという観点からすれば、セルフィーユそのものに売り物がなくとも他から運んでくることは十分に可能であり、実現する可能性も高い。現にゲルマニアから商品が流れてくるように、道筋は立ててあるのだ。
 トリステイン北東部を新たな市場として開拓する予定であるが、同時に、セルフィーユへと荷を運んできたゲルマニア商人を何も手ぶらで帰すこともなかった。トリスタニアやリールから品を集めて、今度は逆にゲルマニアの北部一帯をこちらの商圏に入れてやることもできる。
 これまでリールやラ・ロシェール、あるいはトリスタニアから買い付けていた商品が足を伸ばさずともセルフィーユで手に入るなら、ゲルマニア商人はセルフィーユで時間を買うという選択肢を選ぶことも出来るようになる。
 セルフィーユはゲルマニアの北部域に対して、丁度南の街道にあるアルトワと同じ様な、中継貿易点としての立ち位置を確保することが可能になるのだ。

「それに、相手にも事欠きますまい。
 ……ここに居られる貴殿の義父ラ・ヴァリエール公はトリステイン東部の雄、祖父エルランジェ伯のご領地はガリアにほど近い西南部、他にも西北部のギーヴァルシュ侯とも親しく、ゲルマニアのヴィンドボナへと伸びる南の街道上にはご実家のあるアルトワ伯のご領地。加えてご本人は東北部に大きな影響力をお持ちだ。見事にトリステイン中のどこででも手は伸ばせましょうに。
 中央に関しても、それこそ、マリアンヌ様やアンリエッタ様と良好なご関係にあり、新たに何処かの貴族と結ぶ必要はないはず。憚りながら宰相たる私とも、失礼でなければ懇意と言って差し支えないでしょうな。
 ……そう言えば以前、鉄の取引を仲介させていただいたこともありましたかな?」
「その節は大変お世話になりました。
 おかげで予定よりも数ヶ月早く、銃砲の生産に手を着けることが出来ましたよ」
「なんじゃ、お主そんなこともやっておったのか?」
「はい、まあ……。
 迂闊に市場へと流せないものだったので、宰相閣下にお縋りしました」
 リシャールの少々物騒な一言は聞き逃せなかったのか、祖父が身を乗り出し、義父も目を鋭くした。
 くれぐれも内密にと断りを入れてから、ゲルマニアに睨まれては困るのでと、錬金鍛冶や銃砲に使う『刃鋼』の余剰在庫を王軍の兵器工廠へと秘密裏に納入したことを話す。
「後から聞いたところでは、平素ゲルマニアから買い入れるよりも随分と高品質かつ安価であったとか。
 おかげで浮いた予算から余計に装備を調えることが出来たと、責任者より報告が届いておりましたな」
「あの時は金策に困っていましたから、こちらは時間を買わせて頂きました」
「王政府としても、何らかの形でセルフィーユ家の街道工事への梃子入れをせずば流石に厳しくはないかと検討しておりました矢先のこと、お気になさることはありませぬ」
 マザリーニが即刻仲介に応じた理由はここにあったのかと、リシャールは頭を下げた。王政府は工事費用について支援せずとの約束は交わされていたが、自分の知らないところで気を使われていたようである。
「ああ、話を戻しますぞ。
 このように貴殿は四方に伸ばせる手をお持ちであり、更には立場もトリステイン北東部随一の諸侯として、またラ・ヴァリエール家を後ろ盾として、社交界にて権勢を振るおうと思えば振るえる位置にいらっしゃる。
 ……にも関わらず、どなたとも本格的にご商売の話を進められた様子もありませんな。方々で行われている舞踏会や茶会に顔を出したりといった、権力を横に広げようとする気配すら感じられない。
 平民には多く声を掛けていらっしゃるようだが、貴殿の場合、ご親族など極一部の親しい方々を除けば貴族間の交友関係さえほとんど出てきませんな。アルビオンのウェールズ殿下や、ゲルマニアのツェルプストー辺境伯の名が先に上がるほどです」
「……」
 祖父が小さく頷いているところを見ると、相当広い範囲で調べ上げられたに違いない。ツェルプストーの名を宰相の口から聞いた義父は、微かに不機嫌な顔をしていた。
「それどころか、祖父殿らから叙爵の際に援助を受けられた話こそ、私も聞いておりましたが……」
「はい?」
「公爵にも後日確認させて頂いたが……ラ・ヴァリエール家から援助どころか人が入った形跡すらなかったという話を聞いた時は、開いた口が塞がりませんでしたぞ」
 マザリーニは軽く肩をすくめてから首を振った。
 ふむ、とラ・ヴァリエール公爵が相槌を打つ。
「お主の為人が、責任感が強く、安易に人に頼ることを良しとせず、独立独歩の気風に富んでおることは十分に理解したな」
「叙爵直後は、公爵様らに自分の力量を認めていただくことも大事でしたので、適う限りの努力をしたように思います。
 もちろん、幸運にも恵まれていたことも間違いありませんが……」
「で、あろうな。
 しかし……そこで先ほどの話に繋がるのだが、こちらには今ひとつお主の野心が見えて来ぬ。
 『商売』には精を出しているようだが、借財の返済や工事費用の捻出はともかく、品や労働者の扱いを見るに、単に金儲けを企んでいるようにも思えぬのだ。
 ああ無論、領地にも真面目に入れ込んでおるようだが、宰相の言うように、社交界での立ち位置の確保や猟官には興味が湧かぬと見えるな。
 その若さで才に溢れていながら、出世の糸口にも金を儲けるにも都合のいい相手である筈の我ら身内を頼らず、かと言って王家のお二人にも近い位置に居ながら官や財を求めることをせず……それに気付かぬお主ではあるまいに。
 酒色や博打、それに例は悪いが薬物、あるいは趣味に溺れて生活が乱れておるようなこともなし、貴族としての義務も果たし、家族も大事にしておる。
 ……どうにもな、何処を目指して居るのか、何を為したいのか、皆目見当がつかぬ」
 大きく息を吐いたラ・ヴァリエール公爵は、ソファに深く沈み込んだ。

 リシャールにも、野心や功名心がないわけではない。自覚もしている。
 今は魔法、特に土系統の錬金魔法やマジックアイテムの作成について学んでみたいとか、ガリアやロマリアの市場を見て回りたいなどの個人的な目標とも希望ともつかないものは幾つもあるが、これらはそう大して重要なものでもない。
 以前はラ・クラルテ商会の会頭としてその道を歩むならば、家名を捨てて平民になる可能性もあった。その場合はセルジュやシモンの様な豪商を目指していただろうか。イワシの油漬けは、今も好調な売れ行きを維持している。商売としては今ひとつではあったが、活魚の長距離輸送では大国の王へと献上されて誉められるほどの結果も残した。大きなトラブルさえなければ、それなりにやって行ける……いや将来、豪商の末席を埋めた可能性は高かったと思う。
 だが今現在、領主として領地の経営に力を入れていることも間違いなかった。借金を返済し自身の生活を安定させたいという理由もついているが、領地を育てることにも面白みを見出している。寒村が活気に溢れ人々が笑顔になり、何もなかった場所に家々が並ぶようになったセルフィーユの変わり様は、日々の忙しさを忘れるほどに大きな満足感をリシャールに与えた。
 爵位も伯爵になり、領地も加増され、美人の妻と可愛い子供がいて、これ以上何を望むというのだろうか。
 野心も功名心も欲望も、十分以上に満たされている。
 特に新たな官職の獲得や更なる陞爵と言った類の出世は、政治の問題が絡みすぎるとその道に詳しくない自分でさえ思う。今でさえ重荷になっている部分もあるから尚更だ。可能ならば中央に繋がる官職は遠慮したいし爵位も子爵あたりに留まっておくべきだったが、既に予備役ながら王軍の将官で、爵位も伯爵位を授けられている。
 目の前の三人はその点も期待しているのかも知れないが、向き不向きよりも、リシャールがそれを望んでいないと言うことが大きい。その点が義父らにはちぐはぐな印象を与えたのかと、リシャールは思い至った。
 それに皆は誤解しているが……深慮遠謀に基づいた野心など、元からありはしないのだ。

「皆様、先ずは随分とご心配をお掛けしたこと、深くお詫びします」
 三人の顔色を窺いながら、リシャールは頭を下げた。内容はどうあれ、気を揉ませたことには変わりがなかったからである。
「それから野心と仰られましたが、そこまで大それたものではないにしろ、全くないわけではありません。
 爵位が欲しいとわがままを申し上げた時にはお爺様らが尽力して下さいましたし、カトレアを嫁に欲しいと希望した時には公爵様も許しを下さいました。あー……カトレア本人の了承はもちろんですが。
 マザリーニ猊下にも甘えさせて頂きましたね。
 鉄の売買にしても、真面目なお話を持っていけば、少なくとも門前払いはされないだろうとの思惑を内心に抱えておりました。
 このように、割と好き勝手をさせて戴いている、と思うのですが……」
「ふむ」
「確かにな、我が侭といえば我が侭か」
「ですな」
「ただ、次に何を、あるいは何処を目指すのかと問われましても、目先の忙しさに追われておりますので、借財の返済や領地の安定、といった答えになってしまいます。もちろん、これはこれで切実な問題ではありますが。
 それでも……強いて言うなら、今一番欲しいのは家族とのんびり過ごす時間ですね」
 頭を掻くリシャールに、義父と祖父と宰相は多少微妙な表情のまま顔を見合わせた。




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