━━━━━………大昔。これから話すことは、まだ神話というものが実在する歴史として残っていたときのお話。 ある1つの山に、コツリと小さな石が転がり込んだ。 その後、誰の目にも止まることのなかったその石から、やがて1つの命が産まれた。 産まれたのは1人の獣人で、まだ名前はなかった。 石から産まれたとはいっても、見た目は至って普通の獣…猿人だった。 そのため、人々や動物はまさか物体から産まれた命など、と特別扱いすることはなかった。 『宛がないなら、うちに来なさい。』 やがてその猿人は、1人の老人に引き取られ育てられることになった。 その猿人の出世を知らなければ、その老人の出世も知る者はいなかった。 猿人は、その老人から神々の存在や、生物の命のことを教わった。 猿人の生まれ故郷は、その老人が言うには花果山(かかざん)と呼ばれる山のようだ。 しかし、猿人からしてみれば山なんて名前があっても、どれもこれも同じ風景にしか見えなかった。 猿人が首を傾げていると、老人は笑ってこう話した。 『同じように見えても、何もかもが同じモノは、何1つ存在しない。』 老人はより詳しく、猿人に説明していく。 一見同じものでも、詳しく調べていくと様々な違いがあるということ。 同じ種族で一くくりは出来ても、1人1人に含まれるすべてのものが異なるということ。 そして………、誰1人自分と同じモノを持つ人はいないということ。 老人から説明を受けるが、この頃はそれらの説明に意味がわからず、 猿人は、ただただ首を傾げ不思議そうにしていた。 ある日、花果山にて兎が蛇に飲まれている光景を見た。 その光景の意味がわからず、猿人はただそれをジッと見ていた。 暫くすると、兎の姿が消えたことに疑問を持ち、猿人は老人に尋ねた。 すると、老人はほんの少し顔を曇らせながら、こう教えた。 『あぁ…、あれか。あれは蛇が生きるために、兎を食したんじゃよ。』 …食したということは、兎は蛇に命もろとも食われ、殺されたということ。 そのことを聞かされた猿人は、兎を食べ終えた蛇から兎を取り返そうとするが、 それは………老人に止められた。 『お前さんがやろうとしていることは、わしとてよくわかる。  しかし、自身が生きるためとなれば、さっきのような行為は止むを得んときもある。  何かを得るには、何かを失わなければならんからのう。  …もし兎が食われる前に、お前さんが兎を助けたとすれば、  蛇の生きるための行為を邪魔するということにもなる。  どちらかがやられておるとはいえ、安易に手を出してはいかん。』 今度は、少し厳しい口調に低いトーンで説明した。 老人の台詞を態度を見聞きすると、猿人はギョッとして固まってしまう。 その様子を変えることなく、猿人が…食われた側はどうなるのか、と問うと、 老人が目を瞑り、首を横に振って…やりきれないという様子で返す。 『食われた側は、もうニ度と戻ってこん。  食われた、それは命の終わりを意味する。』 “命の終わり”…。猿人はこの部分にピクリと反応を示した。 その後、兎が蛇に食われた後の光景を見つめる。 ………自分も、食われたならあの兎のようになってしまうのか。 何かの一撃であっけなく消えてしまう。 そんな儚い命にはなりたくないという不安が募り始めた。 それで、猿人はどうすれば食われないのか いや…どうすれば食われても終わることなく生き続けられるのかを聞いた。 …まだまだ知らないことの多い猿人に、あまり教えたくはなかったが、 その不安そうな様子を見て一肌脱ごうと考えたのか、老人は猿人にこんなことを聞いた。 『…お前さんは、神という存在を知っておるか?  実際には、この世界に直接降り立ってはならんことになっておるがゆえ、  その姿をこの目で見た者はおらん。  じゃが…、神に命の終わりというものはなく永遠に生き続けられるという。  ただ…、永遠に生きるということがどういうことなのかは、よく考えた方がいい………。』 老人が真剣な様子で話すと、猿人は、どうすれば神になれるのかと聞いた。 『ただ…〜。』の後の台詞は聞かず、今頭の中にあるのは死に対する恐れだけ。 猿人は、老人の最後の忠告には耳を傾けず、神になることを強く望んでしまった。 『…神になる方法は、わしは知っとる。じゃが…、本当に後悔はせんな?  確かに永遠の命に憧れるものは多いが………。』 自分に問い詰める猿人を見て、真剣な反面酷く心配そうな様子で老人が言うが、 猿人の決意は変わらなかった………━━━━━。 ━━━━━その後、その猿人と老人は花果山を離れた。 猿人の方がその老人に弟子入りし、長い期間修行することになった。 その長く厳しい修行を乗り越えて、その猿人は神…猿神となった。 獣人…人であり神でもある彼の名として、大聖(だいせん)という名前が与えられた。 神へと昇格する際、筋斗雲と呼ばれる術も習得した。 老人が言うには、神は人前に姿を現してはいけないということ。 なので、移動の際はなるべく空高くからするようにと言われたためだ。 神となり、またその術を習得してからは再び花果山へと帰っていった。 その…、帰ったときから何もかもが大きく狂った。 神となった自分が花果山へ帰ると、自分と老人がいないうちに巨大な牛の魔物が山で暴れていた。 無論、その牛の魔物を追い払えるのは自分のみ。 まだ自分が神と知られていないため、あまり自分のことを隠すことなく牛の魔物を退治した。 無事に牛の魔物を退治出来たのはいいが、人前で見せてはならないものをここで見せてしまった。 その牛の魔物が、もうニ度と悪さをしないようにと、 大聖は産まれたときから持っている、ある能力を使ってしまった。 それにより牛の魔物は更生し、自分の居場所へと帰った。 ………その数日後のことだった。 大聖のことが、牛の魔物を退治した件だけではなく、 大聖自身がその能力を持っているという件を加えて有名になってしまった。 そのため、人々はその能力を一目見よう、頼ろうと大聖にすがりつく。 自分でなんとかせず他力本願、おまけに自分の望み通りにならなかったら大聖のせい。 そんな人々の態度に見兼ねた大聖は、故郷の花果山とは別の山である、 五行山(ごぎょうざん)に身を隠し、独りで過ごすことにした。 「…噂となったことは過ぎ去るのをただ待つしかない。  しかし、俺は俺で有名になるということがどういうことかを、よく考えてなかったな…。」 その日以来、ずっとずっと独りで自給自足の生活を送っていた。 今の自分は、命尽きることのない神。 …周りが変化をし続けていても、自分だけは何も変わらなかった。 ………大聖は、ここでようやく過去に言った老人の台詞の意味を理解した。 『永遠に生きるということがどういうことなのかは、よく考えた方がいい。』 ━━━━━不老不死になるということは、自分だけが取り残されるということ。 しかし、その意味が今更わかったところで、もう………手遅れだった。 ………破滅を超越する状態で人々の前に出たとしても、 噂の神か、それとも『お前は一体何者だ。』と問われるだけ。 死に対する恐怖よりう大きな苦しみを乗り越えようとしても、 今の自分が人々の世界に入り込んだら………。 神でありながらも、自分はまだ人というものを捨て切れていない。 “ニ兎追う者は一兎も得ず”というのは、まさにこういうことを言うのだろうか。 神か人か。せめてこのどちらかだと言えば、人々か神々かは快く受け入れてくれるのだろうか? 大聖は、長い時間………神話というものが歴史から架空の話に変わるくらいの長い時間………、 五行山の、誰の目にも触れない奥深くで、たった独りで過ごすことになった。 何日、何週間、何カ月、何年も━━━━━。 ………深い闇の中で過ごしていくうちに、大聖の心から、 希望(ゆめ)という光が次第に弱まりやがて………、消えていった。 『よくせい』 ━━━━━長く独りで過ごしていた大聖を見兼ねたのだろうか、 かつて自分を神にしてくれたあの老人が姿を現した。 老人は、今の夢も希望もなくなった大聖が気が気でなかったらしい。 少し落ち着かない様子で、大聖の元へやってきたのだった。 何年ぶりという再会に大聖は驚くも、突然自分の前にやってきた老人の前には現れる。 『…神になったときに人というもんを捨てんでどうする。  神になったなら、速やかにわしと共に人里とは違う世界にやってきたらよかったろうに…。』 「………すまない。」 『いや…、こんなことを言っとるわしにも原因はある。  お前さんは、どうやら見えない仮面を持ちすぎたようじゃ。  1人の者が複数の種族の血を持ってしまったなら、  必ずどれかは捨てなければ、今のように取り残されてしまうことを、説明しなかったのじゃから…。」 せっかく神にしてくれたのに、こんな様である。 態度でそういうかのように…、大聖は頭を下げて申し訳ないと謝った。 そんな大聖を老人も責めることはせず、自分にも非は有ると大聖を宥めた。 頭をさげっぱなしの大聖に前に降り立ち、ゆっくりとした足並みで大聖に近づく。 『人、獣、神のどれかを捨てるとしても、今この場でそう決断することは出来まい。  何も考えずに決断し、捨てるとなればまた同じことを繰り返すかもしれんからのう。』 「なら、俺は一体これからどうすればいい?  人前に現れたとしても、取り残された身であるが故に誰も手を差し伸べやしない。  寧ろ…、結局今の自分が何者なのかわからない俺が人前に現れても、迷惑をかけるだけだ。」 『そうじゃのう…。じゃが、お前さんは神にはなりたくてなったろう?  少なくとも、神という種族だけは捨てたくないんじゃろう?』 「それは言えているが………。」 老人が腕を組み、考えながら大聖に慎重に告げる。 それを忠告として聞いても、大聖は一体どうすればいいのかわからなかった。 このままずっと独りで過ごすとなれば、退屈や破滅で消されてしまいそうだ…。 そこで、神だけはなりたくてなったということから、 老人は大聖にあることをさせようと考えた。 ………そのあることとは、かつて神々が行っていたこと。 過去の神話の時代には、人々や神々を苦しめる竜や大蛇が存在していた。 神々は沢山の目的を持って、武器を片手にそれらを退治してきた。 老人は、自らが望んで神に仲間入りした大聖にも、同じことをさせるのだ。 神話の話が架空の話となって歴史から消え去ろうとしている今の時代。 昔と今では捉えはは異なるとはいえ、竜や大蛇を安易に許してはならない。 故に、戦う神としての修行も兼ね、大聖にはその竜退治をしてほしい。 老人は、今は滅亡寸前にまで陥っている竜や蛇の存在を、未だ警戒していた。 しかし、年老いた自分ではもはや戦う程の力は残っていない。 そのため老人は、大聖にそう頼んだ…。 「…それらを見かけたら退治する。それは了解した。  しかし、そんな奴らに武器のない俺が敵うのか?」 『そう言うと思うた。わしが去る前に、1つお前さんに与えたい物がある。  ここはまた、わしについてきてくれんかのう?』 「…了解した。」 老人が尋ねると、大聖も素直に頷いた。 今の独りの状態が続くとしても、それにより自己を保ってくれたなら。 それが…、老人が大聖に願ったことだった。 そう指示を与えると引き換えに、老人は大聖にある武器を与えることにした。 存在していた神話の世界にて手に入れられた神珍鉄(しんちんてつ)という珍しい金属から、 老人は大聖の今後の人生を願い、如意金箍棒(にょいきんこぼう/以下:如意棒)を作成しそれを大聖に授けた。 それを与えた後には、老人の姿はどこにもなかった………。 ………自分の今の苦悩を吐き出せたり、わかちあえる相手などいない。 しかし、それを紛らわすことの出来る何かは掴めた。 大聖は、人や神の敵として挙げられる竜について調べるようになった。 竜は、人さえも食し、苦しめると老人も言っていた。 ただ…、その竜も今のこの時代になると、もう殆ど存在していないようだった。 「………神と竜、異種族同士の対立、か………。」 灯りもろくにない暗い洞窟の中で、僅かに手渡された書物を眺めながら、ポツリと呟いた。 大聖しかいないこの洞窟は、もはや大聖だけの住居と化している。 「もし探しに行くとすれば、人目の気にならないときに出かけた方が、よさそうだ。」 自分の術である金斗雲の術と、老人のもとで造られ与えられた如意棒を手に取り、振り回してみる。 回りに人がいれば歓声や悲鳴が上がりそうなその光景だが、人のいないこの場所では、 当然それに対しての反応は何も帰ってはこない。 「………退治そのものが大騒動になるな。俺は一体どうやって退治しろと言うんだ?」 手に握られた如意棒を静かに見つめ、大聖は目を細めた。 「…そもそも、竜退治というのは、今俺がしたいことなのか?いや…、それどころか、  ━━━━━俺が今やりたいことは、一体なんだんだ?」 『神になりたい』と言ったそれ以降、自分のやりたいことをしていないような気がする。 己自身を閉じ込めているその間に、自分の望みさえわからなくなってしまったのか? そう言えば、俺はこれまで意思表示を誰かにしたことがあるか? これまで、自分の気持ちを誰かに吐き出したことがあるか? というか、…そういう気が置けない誰かが俺にはいるか? そして、苦しくて…苦しくて泣きたいなずなのに、なんで泣けないんだ? そう自問を繰り返すが、すべての自問に対する自答は出来なかった………。 ………結局また、長い時間同じようにしか過ごせなかった。 竜や蛇がこの場所を通りかかることもなく、人も通りかかることもない。 遥か彼方から聞こえてくる悲鳴、叫び声と、そして鳴き声だけだった。 だが、それらさえ今の心から、聞きたくない奇声や怒号のように聞こえてしまう。 ━━━━━何を言い争いをしている。どちらかが引き下がればいいだけの話だ。 何を自己主張のぶつけ合いをしている。そんなに自分を認めさせたいのか━━━━━。 それらから離れたくても、何者なのかを自分の中で定めなければ、また…大騒動になるだけ。 耳を塞ぎ、それらの声が完全に聞こえなくなるまで、大聖はずっと…耐え凌いだ。 しかし、やりたいことがわからなくとも、それを決めるのはもはやあの老人ではない………。 これらの苦悩が解放され、自分の望むままに行動出来るようになるのは、一体いつになるのだろうか。 『A-03 であい』に続く。