すると、大聖(だいせん)はエアリーの目の前で突然瞑想を始めた。 ほんの少しだけ時間をかけ、目の前に出現させたのは、金色の雲だった。 『あかし』 「…とりあえず、その雲に乗ってみろ。」 「え?それだけ?」 「他に何をすると言うんだ。」 金色の雲を出現させるなり、大聖はエアリーにそうするよう指示した。 突然のことで、エアリーにはその意図どころか理由すら浮かび上がらないらしく、 出現した金色の雲を見て、キョトンとするだけだ。 そんなエアリーを見て、苦笑いを浮かべながら大聖はこう続ける。 「いいから乗ってみろ。俺からする話はそれからだ。」 「もう、一体何よ…。物理的に考えて人間が雲なんかに乗れっこないわよ…。」 「そう言うな。騙されたと思って乗ってみてくれ。  一応話しておくと、それはお前が知ってるだろう雲とは違う。」 「…??」 苦笑いを絶やさず大聖が言うので、エアリーも渋々と乗ってみる。 金色の雲に自分の身体が突き抜けないようにと、 湯船に入るときと近い動作で、ゆっくりと金色の雲に乗る。 「…あっ、あれっ?」 「………。」 エアリーが雲に乗ると、物凄く意外だという戸惑った顔で声をあげた。 自分の物理的な予想を覆している。気体故に実体のないはずの雲は見事にエアリーを乗せている。 エアリーが乗ったのを見て、大聖が一瞬驚くも、 「…暫くジッとしててくれ。」と言ってその場から離れないようにしてから、観察する。 エアリーは、自分が出現させた金色の雲…金斗雲(きんとうん)に見事に乗っていた。 それに乗っていても何も起こらない。それをこの目で見た大聖は、 ようやく警戒を緩めたのか、フッ…と笑ってこんなことを説明する。 「その雲はな。…よほどのものでないと乗れない仕組みになってるんだ。」 「へっ?」 出会った当初からそう言われるまでとは違い、 少しだけ笑っていた大聖にそう言われると、エアリーが間抜けな声をあげた。 外見は自分よりも大人であるのに、その様はまるで話についていけない子供のようだった。 そんなエアリーを見て小さく吹き出してから、大聖は安心出来たように話を続ける。 「もう一度同じことを話すが、その雲は誰もが乗れるわけではないんだ。  俺はお前の態度を見てあることに気付き、その雲に乗せてみたんだが…、  …まさか本当に乗れたとはな。これは驚きだ。」 「そうなの?わたしにはよくわからないわ。」 「あぁ、そうだ。それに乗れたということは、  少なくともお前が腐ってるというわけではないという証明にはなる。」 「ちょっと!誰が腐ってるですって!!?っていうかあなた、そんな印象抱いてたの!!?」 「そう抱いてたわけではないが………。」 大聖の説明にエアリーが首を傾げるのを見て、大聖は頷いた。 …ものの、『お前が腐ってる』という言い方には腹が立ったのか、 エアリーがムキになった様子で怒る。不快に思ったら隠すことなく怒る。 感じたままに感情表現をする。それもまた…大聖は不思議に思えた。 感じたままに、自分の気持ちを伝えられるのか………。俺なんて………。 エアリーの態度と、これまでの自分の態度を無意識に比べてしまい、一瞬だけ悲しそうな顔をする。 エアリーはそれには気付かなかったらしく、怒った直後の顔のまま表情を変えず、 だが声をあげるのをやめて、自分が乗っている金斗雲をジーッと見つめていた。 その後、顔をあげたかと思えば今度はエアリーが大聖にこう問う。 「ねぇ、そういうあなたはこの雲に乗れないの?」 「…え?」 「自分で出現させたんでしょ、この雲。あなたは乗れるの?」 「………っ。」 顔をあげたが未だしかめっ面は消えておらず、疑われた分疑い返すと言うかのように言った。 確かに、金斗雲を出現させたのは、この大聖だ。 その術を操り、自由自在に使うべきの本人が乗れないなら、 術の使用者とあろうものが落ちぶれてしまった、ということになってしまう。 エアリーの問われたことにより、大聖は少し不安になりながらも返す。 「…勿論だ。俺が操るのに、俺自身が乗れなくてどうする。」 「雲に乗れる根拠はわからないわ。こういうのは自分らしくないけど、  あなた…、自分のものは自分で扱えて当たり前って思ってない?」 「…違うのか?」 「わたしはそう思うわ。どんなに扱いに慣れてても、  結局はそのときになってみないとわからないもの。」 少し無理強いをしてそれが出来て当然だと言えば、エアリーは雲に乗ったまま首を傾げていた。 そのときになってみないとわからないというエアリーの台詞に、大聖はハッとする。 少し意地を張っているということは、大聖の態度からエアリーにも伝わってしまったようだ。 「(…言われてみれば、そうかもしれない。)」 エアリーが乗っている金斗雲に、聞こえないように呟きながら大聖が近づいた。 「(…そう言えば、ここに住むようになってからこの日まで、   この雲に乗った日はあっただろうか?)」 ならば、部外者であるエアリーが乗れても使用者である自分が乗れない、 という可能性だって十分にある。 それが恥じなのかそうではないのかは、大聖がこれから行おうとしている行動を見ている、 エアリーに委ねられるのだろうか? 「(あぁ…。多分俺は、それほど素直ではないのだろうな。)」 心の中で、己を軽く自嘲しながら金斗雲を見つめた。 そう自嘲すれば、今の自分はなんとなく乗れないのではとも考えてしまう。 しかし、それでは『そのときになってみないとわからない。』と言ったエアリーに失礼だ。 「…俺も乗ってみる。少し隣を空けてくれ。」 「え?あ、うん。」 …大聖からしてみても、金斗雲に乗るのは久しぶりだった。 それゆえに、エアリーが抱いていた疑問とはまったく別の疑問を抱いている。 それは、この雲に初めて乗ったときの自分は、一体どんな奴だったのか、という妙な疑問。 当然、その疑問に対する答えは現段階ではわからない。 エアリーが空けてくれた隣目がけて、大聖は身軽に飛んだ。 …純粋な人間であるエアリーからしてみれば、その様は人ではなく猿だった。 先程まで人間として話していた大聖が一瞬消えて、 そのときだけは大聖が本当の猿のように見えたのだ。 人間から猿へ、猿から人間へ。自分の種族を除いた種族は、 そのような見えない“仮面”を持ち、使い分けているのだろうか? 大聖が飛んだ先は、エアリーが空けたその隣。 そこに着地するも、大聖も突き抜けることはなかった………。 それを自分で確認して、大聖は安心したかのように一息つく。 それを見たエアリーが、隣に着地した大聖を見て、クスクスと笑いながら話す。 「なんだ、結局あなた心配してたんだ。」 「心配?…何をだ?」 「使用者であるあなた自身が、その雲に乗れないんじゃないかってことよ。  乗る前のあなたはそんな感じじゃなかったけど、  乗る動作をとったあなたはそんな感じだったわよ。」 「………むっ………。」 半分楽しさ半分からかいという感じなのだろうか、エアリーは笑っていた。 その様子を見て、今度は大聖が顔をしかめるも、 自分自身の種族を考えると、 「(素直になれないといっても、そのすべてを隠し通すということは、   純粋な人間以外には出来ないということか…?)」 と、どこか納得が出来たのか、そっぽを向きながらも頷いた。 話しているときはれっきとした人だが、 行動に出るときは猿…動物としての本性が出てしまうのだろうか? そのあたりの心理は、エアリーにも定かでなければ、大聖にも定かではない。 「…とにかく、これでわたしもあなたも乗れたわけだし。  これなら、わたしはあなたを、あなたはわたしを信じても大丈夫ってことでしょ?」 「おいおい、先程自分で根拠がわからないと言っておきながらなんのつもりだ?」 「根拠なんかなくったって、この雲が証明してくれたじゃない。」 「そうじゃない。それと信じても大丈夫ということは別だろう。」 「それこそ違うわよ。信じても大丈夫ってことをこの雲が証明したんでしょうが。」 エアリーが納得した様子で雲から降りて言うと、 大聖も降りてではあるが…何か引っ掛かるというしかめた顔で返した。 なのに、エアリーは笑いながら雲を『ポンッ。』と叩いてそういう始末。 それに対し、大聖がまた素直になれないのか仏頂面で返す。 だが、エアリーは大聖の額の人差指を当てて、笑いながらそう言った。 エアリーにそうされたことにより、大聖は少したじろいだ。 …誰かと会話する場合は、結局“人”になってしまうらしい。 それもまた、今の自分自身なのだろうと、大聖は苦笑いを浮かべた。 そのたじろぎと苦笑いを見たエアリーは、自信ありげに笑っていた。 しかし、大聖も不思議と悪い気はしなかった。 2人揃って浮かべた笑みを機に、エアリーが本題に戻すかのように問う。 「どっちみち、わたしとあなたはここで会って、こうやって無害に話せてるでしょ。  …あなた、もしよければ一緒に倭国に行く?」 「………は?」 ━━━━━なんだって?俺も一緒に行く? …それはすなわち、この五行山を出て人前に姿を現すということ。 それは、今の自分にはあってはならないこととして、謹んできたこと。 エアリーに問われたとき、時間が一瞬動き出したような気がしたが…。 「…本気か?お前、俺は…。」 「俺は…、なんなの?」 「…いや、なんでもない。」 自分に誘いをかけたエアリーに対し、自分のことを離そうとしたところで押し黙る。 エアリーは、あくまで自分を獣人と捉えているはずだ。 そうでなければ、大昔の人間のように『あんた、………だろ!?』と騒がられていたからだ。 大聖を見た後のエアリーの反応には、そのようなものはなく、 自分を極普通の獣人と思って話している様子だからだ。 そんなエアリーに、自分の正体を話してはならない。 …もはや、この世界全体から去った神が、まだこの世界に残っていることを知られたら。 エアリーが話している自分が、実は神でもあるということを知ったら。 ………自分のことは、決して話してはならない。 押し黙ったまま様子の変わらない大聖を見て、エアリーが少し考えるかのように顎に右親指を当てる。 「…あんまり自分のことは話したくないって感じね。  わかったわ。わたしはあなたのことはあえて知ろうとしない。  …ただ、あなたはこれからもずっとこの山で独りで過ごす気なの?」 「…俺に今後の予定なんてものはない。少なくとも、そのつもりだ。」 「そうなんだ。なーんかそれってすごく勿体ないような気がするけどなぁ。」 「勿体ない?どういうことだ?」 「限られた人生なのにさ、ずっとここで引き篭もってるのってつまらなくないかしら?  わたしだったら、準備が出来次第家を飛び出して、いろんなとこ行って、  そんでもってあなたのように誰かに会って…、そっちの方がずっと楽しいもの。」 「………。」 ………お前はきっと、俺のような過去がないんだろうな………。 少し眉を寄せて話すエアリーを見て、大聖がどこか悲しそうな眼をした。 その眼に含まれる心情はエアリーには届かなかったらしく、 大聖が自分の話を聞いている、その態度だけを確認して、続きを話す。 「ここに引き篭もるより、やるべきことがあるんじゃないのかしら?…あなたにも。  少なくとも、こんな洞穴にずっと独りで暮らして死ぬなんて━━━━━。」 「…何よりも悲しい、とでも?」 「そうね。どうせ死ぬなら誰かが見てくれてるところで死んだ方がいいわ。  このままだと、あなた…忘れ去られちゃうわよ?」 「………!!」 ………人前に出たくないと引き篭もっていれば、 今度は誰の気にも止められなくなってしまうのか………。 「それにさ、外に出たくないっていっても実際に出てみないをわからないもの。結果なんて。」 最後に、笑顔でそう言い切った。自信満々なのが妙に腹立だしくも感じたが、 1人の人間としてはエアリーの言っていることは理解出来る。 話し始めてから、時間が経過したのだろう。空は青さを増していた。 大聖に話したエアリーが、その空を見上げた。 「ほら、空はこんなに青いじゃない!…これも、実際に外に出てわかったことでしょ?」 「…あぁ、そうだな。」 にっこりと笑いながら嬉しそうに言うエアリーに、 大聖も観念したのか、微笑して頷いた。 …微笑を崩さず、大聖も腹を括ったかのようにこう言う。 「…わかった。なら俺も同行させてもらおう。」 「ほんとっ!!?」 大聖が静かに答えると、エアリーが驚愕と歓喜を交えた笑顔で振り向く。 大聖は、無愛想ながらも自分なりに笑っているという感じだったが、 これまでの大聖の態度を思うと…、エアリーにとってはそれでも十分だった。 「なら、俺はとりあえず自分に合ってそうなことを探すとしよう。  俺はお前と違って、やりたいことがないからな。」 「何よ、つまらないわねぇ…。最初の同行者なんだし、  わたしの店の従業員第一号になれるって思ったのに…。」 「俺からお前に言うこととしては、“過度な期待は禁物”ということだな。  お前に同行するとはいっても、お前の店の従業員になるとは一言も言ってないぞ。」 「うっ…、そ、それはそうだけど………。」 「ただ、やりたいことがなければ当然目的地もない。  俺もお前と共に倭国へ行くとしよう。」 「素直なような、素直じゃないような…。  でも、わたしのこれからの長旅には同行してくれるのよね?」 「あぁ、それだけは揺るがない。」 大聖が頷きながら話すと、エアリーも嬉しそうにした。 まだ自分の店の店員にはなってはくれそうにないが、 これから始まる長旅の仲間としては、共に行動してくれる。 それがエアリーにとっては、心強いことだった。 心強いというのは、実は大聖にとっても同じだった。 自分がただ被害妄想に囚われていただけなのだと気付かせれくれた。 実際に行動に出てみないと、結果なんてものはわからない。 話したことや起こしたことが筋の通っているエアリーとなら、大丈夫だと思った。 決心したかのように、互いに顔を見つめると、 大聖が乗ったままの金斗雲を空高く動かした。 「えっ!?なっ…何!?なんなの!!?」 「ジッとしていろ。ただ、吹っ飛ばされないようにある程度の体重はかけろ。  この雲に乗って、これから倭国へ向かうぞ。」 「こ、この雲で飛んでいくの!!?きゃー!!!すごーい!!!  雲に乗って空を移動するなんて、まるで夢物語だわ!!!」 「そ、そうか…?(…俺にとっては、そんなに大したことではないんだが…。)」 大聖の意思で動き始めた雲は、またたく間に空高く浮遊し、五行山の頂上を越えた。 頂上よりも高い位置から周囲を見渡せば、山を登った際に見たものよりも、 更なる絶景が迎えてくれた。…それはまるで、これからの長旅のスケールを物語っているようにも感じた。 その状態で回りを眺めると、東洋のものと思われる大きな天守閣が見えた。 「…あの天守閣を中心に、塀や門に届くまでの範囲が倭国だ。  雲に乗った状態なら一気に天守閣に行けるが、  門をくぐらずに入ると不法侵入と見做されるからな。」 大聖が、東の方角に見える城を指差して説明した。 その説明を聞いたエアリーが、わくわくした様子ながらも確認するように言う。 「じゃあ、あの塀や門近くの外に降りるのね!」 「あぁ、それがいいだろうな。」 「よーし!!じゃあ思い切って倭国にいくわよっ!!」 エアリーが張り切った様子に大声で言えば、 大聖も無言で頷き、金斗雲を倭国に向かって飛ばした。 ………。 「━━━━━…この家だっけ?あの人が出てったのって。」 「…そうよ。」 自分達がいる、エアリーが旅立った街に留まっていた2人組の男女が、ポツリと呟いた。 どういう考えからなのだろうか、2人はエアリーの家の前に立っていた。 白い服に白い髪と言った奇妙な配色の少年が家のを見上げれば、 隣にいたミイラのような女性も無表情で頷いた。 エアリーが家を出てからいくつかの時間が経った頃のこと。 留守であることをわかっていながら、この2人組はエアリーの家の前まで来ていた。 先程、2人とも奇妙な姿をしたとはいっても、周囲から浮いてしまう程ではない。 すると、少年の方が急に姿を消してしまった。 しかし、それに気付いても少女の方には取り乱した様子はない。 なぜなら、少年がこれからどういう行動を取ろうとしているのかがわかっているからだ。 少年が自分の能力で壁をすり抜けると、あっさりとエアリーの家に侵入してしまった。 家の中へと侵入すれば能力を解き、、内側から鍵を開けて相方である女性を家の中に招き入れる。 無人になったエアリーの家に侵入し、2人はキョロキョロと内部の眺める。 …家の中は見た目よりも広かったが、家具類が殆どなかったが、 床には大量に紙や書類、工具などが散らばっていた。 それにも関わらず、2人組はお構いなしにそれを踏みつけながら歩いていく。 「…改装中か何かかな?」 「いえ…、家の鍵が閉まってたうえレイアウト変更の形跡もないわ…。  だって…、カウンターみたいなテーブルには埃がたまり始めてるもの…。」 「じゃあ、あの人が出てってから結構経ってるってこと?  あの人、いつ帰ってくるのかなぁ。僕達も話したいことあるのに。」 「とはいえ…、あの人にはあの人のやりたいことがあるもの…。だから旅立ったのでしょうけど。  …でも、あの人に事情を話さない限り、私達は不法侵入のまま…。」 「そうだねー。こうなったら、僕達だけでもこの店開けちゃう?」 「そんなことしたら不法侵入どころか乗っ取りよ…。」 「あはは…、ですよねー…。」 エアリーがいないことをいいことに何かしようとしているのか、 それとも帰ってくるエアリーのために何かをしようとしているのか。 この2人が自分の家に侵入して、何を起こそうとしているのかなんて、 金斗雲に乗ってウキウキ気分のエアリーが知るわけがなく………、 長旅が、始まった………━━━━━。 Aパート完結。Bパートへ続く。