━━━━━金斗雲(きんとうん)に乗り、 大聖(だいせん)と出会った五行山(ごぎょうざん)を後にした。 雲の上に乗った状態で山を越えるなんて想像もしておらず、 エアリーはただ、子供のようにはしゃいでいた。 そんなエアリーを見て、反対に大聖は 「…なんでそんなに喜ぶんだろうか?」と少し引きながらも黙っていた。 金斗雲で空高く舞い上がり、五行山をはじめとした山脈を越えていく。一直線に倭国へ向かうその雲は、 こんな光景を何も知らない人々からしてみれば黄色い飛行機だ、程度にしか思えないだろう。 思ったよりずっと早く山を越え、一気に倭国へと向かっていった。 …と、山を越え倭国に近づいたところで、金斗雲を地の方へ移動させ、 地面すれすれになったあたりでそれを消滅させた。 言ってみれば、金斗雲から強制的に降りらされたということだ。 「ねぇ、ちょっと大聖。なんでこんな中途半端なところで下ろすの?  倭国の門まで、まだ結構な距離があるじゃない。」 「………。」 何も言われずに降りる形を強いられたのに納得がいかず、 エアリーが少し眉を寄せて疑問を述べると、大聖は口ごもる。 その後、少し言いづらそうな態度を表に出しながら、こんなことを説明する。 「…よく考えろ。こんな雲に乗っているところを見られたら大騒動になるぞ。」 「そりゃあ…、大発見にはなるでしょうけど、それってそんなに嫌なことなの?」 「…なんか、『別に広まってもいいじゃない。』という感じだな。…表情(かお)でわかる。  お前にとっては大丈夫でも、俺にとっては大問題だからだ。」 「大問題?一体どの辺りが大問題なの?」 「…お前はどうかは知らないが、俺は広まることを望んではいないからな。  広められる。それはお前だって例外ではないぞ。」 「広めないでほしいってこと?でも、知ってもらうことは悪いことじゃないと思うけど…。」 「…そういうな。広められたら後が怖い。  あのときの二の舞になりかねないからな…。」 『二の舞に…〜。』の部分はかなり小声で呟いたため、エアリーには聞こえなかったらしい。 別に広まってもいいのではというエアリーに対し、 大聖は断固嫌だという様子で、エアリーに説明をし続けていた。 頑なに広めたくないという意見を貫き通すうえ、 大聖の素っ気ない様子に未だ納得がいかないエアリーだが、 あまりにも大聖がしつこいので、とりあえずは言う通りにすることにした。 ………大聖の事情から、仕方なく金斗雲から降り、 そこからは歩いて倭国の城門を目指すという形になった。 まだ倭国はおろか街の中にも入っていない山のふもと、人気(ひとけ)は少なかった。 自分が行きたがっている倭国を目指して真っすぐに歩くエアリーに対し、 大聖は周囲を警戒しながら黙々と歩いていた。 少し俯きながら歩いている大聖をジッと見て、エアリーはあることをまだしていなかったと思い出す。 金斗雲に乗って、それにすっかり夢中になってしまったためだ。 大聖の顔をくるっと見て、笑いながらこう問う。 「ねぇ!そういえばさ、わたし達自己紹介したっけ?  わたしはエアリーっていうの!あなたは?」 「…俺か?」 エアリーが名乗れば、大聖はピタリと歩く足を止めた。 笑いながら名乗るエアリーの態度は素直に嬉しいと思うが、 大聖は自分のことを名乗っても大丈夫かと不安があった。 なぜなら…、名乗ることによりエアリーが自分の正体に気付かないかと警戒しているためだ。 せっかく名乗ってくれたエアリーには悪いが、自分には過去の事情がある。 とはいっても、エアリーはそんなことなんて知るわけがない。 そもそも、そのエアリーと共に行動することを決めたのは自分自身だ。 エアリーが自分のことを知らないことを前提に、大聖も控えめに名乗る。 「………大聖。」 「大、聖?」 「………あぁ、そうだ。」 「へぇー、なんだか倭国の人みたいな名前ね!  あなた、倭国の場所知ってるみたいだし。  あ、でもそれだったらあんな暗い洞穴には住んでないかなぁ。  大聖かぁ。獣人でも名前はれっきとした人よね。うんうん。」 …自分の正体を知らないのか、エアリーは考えながらペラペラと話し出した。 これらの台詞は、いずれも自分との出会いの際に抱いたと思われるものばかりだった。 過去の自分のことや、自分がどうしてあの洞穴に、 それも独りで住んでいたのかに対しての話題は出なかった。 エアリーの態度と台詞を見て、ひとまずは大丈夫そうだと大聖はホッと一安心する。 「よーし!じゃあ大聖!これからよろしくね!」 「…え?あ、あぁ…。よ、よろしく。」 「ふふっ、そうと決まれば早いとこ倭国に行きましょう!ほら!」 「あっ…、ちょっ…、おいっ!」 互いに『よろしく』と言うと、エアリーが嬉しそうな様子で大聖の手を取り、引っ張っていく。 その行き先は、当然倭国だ。エアリーは大聖を引っ張りながら、 大聖はエアリーに引っ張られながら、再び歩き出した。 『へびとかえる』 ………山から倭国へ流れている川から、そんな2人の様子をジッと見つめていた者がいた。 2人には近づけない水の中にいるその2人組の少年少女。 倭国へ向かうという会話や名前を聞いていれば、金斗雲から着地するところも見ていた。 長いこげ茶色の髪は、少年少女とも共通している。 しかし、髪の先端の色は異なり、少女の髪の先は朱で、少年の髪の先は黄色だった。 また、髪の先の色を入れ替えたように、それぞれ黄と朱の衣服を身に着けていた。 少女の身体には鱗があり、少年の身体にはそれがないが常に湿りを感じられるものだった。 身体が異なれば手足も異なっており、少女には爪が、少年には鰭があった。 蛇や蜥蜴を想わせる少女の名は、宮守(りもや)。 蛙を想わせる少年の名は、井守(いもり)。 パッと見れば双子のように思えるこの2人は、陸と水、2つの世界を行き来出来る種族。 この2人が影から近づいてきていることも知らず、 エアリーと大聖は何も問題ないかのように、倭国へと足を進めていた。 ………陸と水、その境界がありながらも、存在がわかる者にはわかるのだろうか。 突然、大聖が『バッ!!!』と振り向き、山のふもと近くを流れる川へと目をやった。 川は静かに流れている、一見は何も変化なんて起こっておらず、穏やかな様子だ。 そんな川を見て、大聖は戦闘体勢と言わんばかりに、構えたのだ。 「ちょ、ちょっと大聖っ!!?」 目つきを変え、川を睨みつける大聖の変貌ぶりを見て、エアリーが戸惑う。 大聖の方を向いては、大聖に一体どうしたのだと肩を掴んでは落ち着かせる。 大聖は、そんなエアリーをほんの少しだけ、目だけで見る。 「…純粋な人間だからわからないのか。俺が獣でもあるがゆえにわかったのか。」 「大聖っ…!?」 戸惑うエアリーに視線を向けずに、大聖が先程より低い声で言った。 …先程とは、様子が明らかに違う。 つい先程まで、話していた人間が急にいなくなり、 代わりに獲物を狙う猿が現れたような気分に襲われた。 …今のような状況になると、動物の細胞をまったく持たない種族…純粋な人間であるエアリーは、 置いてけぼりをくらってしまう。…他の種族は、今のような状態になると猛獣と化す。 純粋な人間であるエアリーは、今の大聖がいる世界が一体どこなのかがわからなくなってきた。 ━━━━━ここって、わたしと大聖がいた世界と同じ世界よね? でも、なんでこんなに置いてけぼり感を食らってるのかしら………? これがいわゆる、人間には決して入れない野生の世界っていうやつ? …ここで、もし大聖が暴れたら、わたしが止めなくちゃいけないのよね? 大聖と一緒に行くって誘ったのは私なんだし、責任はわたしにあるのよね? …それに、人型に進化したっていっても、結局わたしの種族を除けば━━━━━。 もし大聖が暴れるのなら、大聖を誘った自分が止めなくてはならないし、責任も取らなくてはならない。 そうしないならば、自分は動物の飼育を放棄した飼い主同然だ。 これが、動物としての獣人………━━━━━。 自分が、責任を取らなくてはならない。 自身のこの考えが、エアリーに強い意識を与え、圧迫させていく。 大聖の肩を掴んでいた手が、ピクリと震えた。額から冷や汗だって流れた。 ………自分は、生き物の血も、特徴も、細胞も持たないただの人間だ。 そんな自分に、大暴れしてしまった動物なんて、止められない………。 そんなエアリーには目もくれず、大聖は川を睨み続けたままだった。 少しでも変化があれば飛びかからん。そんな勢いだ。 その眼は人のものではなく…、危険を察し自らを守ろうとする猿のものだった。 大聖が睨んでいる先を焦点に、川に波紋が広がった。 波紋が発生した直後、大聖が跳躍しようと構えたそのときのこと。 「━━━━━悪ぃ。おれ達別にあんたらに手ぇ出す気はねぇ。」 ………川の中から、声変わりのする前の少年の声が聞こえた。 『ザバァッ!!!』 川の中の誰かであろう声がしたと思ったら、 水しぶきが起こり、川の中から宮守と井守が姿を現した。 川から飛び出したかと思うと、困惑しているエアリー、警戒している大聖の前に姿を現し、 2人一緒に、濡れたままで地面の着地する。 「…俺達を密かに見ていたのは、お前達か?」 「おうよ。何、あんたらが倭国に行くっつってたから、それでちょっと気になっただけだ。」 「それを知ってるってことは、どうやら本当のようだな。」 「尾行してたんは悪かった!悪かったから構えんのやめようぜ。  こんなことで激しい運動なんかしたら、おれ干からびちまう。」 「干からびる…?」 少し調子に乗ったかのような様子ではあるが、詫びる気はあるらしい。 井守が「許してくれよ!な!」という態度で言うのに対し、大聖は未だ警戒を解かない。 そんな大聖とは正反対な様子で、エアリーの方は井守の方とマジマジを見ていた。 「ねぇ大聖。こっちの思い込みで飛びかかるのは止した方がいいわよ。  後をついてきたっていっても、わたし達に危害を加えたわけじゃないし。」 「おや、そちらの人間は割と素直だな。  これなら、もう少し早く話しかけてもよかったかもしれない。」 エアリーが大聖に落ち着くように言うのを見て、宮守がほんの少し笑いながら話した。 それでもやはり大聖は引かない。一応構えるのはやめたが睨むのはやめていない。 微妙に様子の変わった大聖を見ても、宮守の方はまったく動じていない。 寧ろ、そんな大聖を見て、宮守は気付いたように話す。 「相手が勝手に警戒しているだけだ。井守、慌てることはない。  ぼく達の意見を素直に受け入れられないということは…、彼は少し癖があるようだ。」 「癖、かぁ…。確かに大聖ってあんまり素直じゃない気がするし…。」 「エアリー、お前まで言うか!?」 「だから、そういうところが素直じゃないって言ってるんでしょうが…。」 「素直じゃないっつーか、潔くないっつーか、頑固っつーか。」 「………。」 まさかエアリーまでもが指摘するとは思っていなかったらしく、 大聖の中でどこか人間に不信感を抱いてしまった。 宮守の言うことに1人が便乗すれば、また独り便乗した。 3人に一斉に悪い部分を指摘されたなら、一気に気分も落ち込む。 大聖は肩を大きく落として、大きな溜息をついた。 そう言われたということは、自分自身が固くなってしまったということなのだろうか。 エアリーと会って共に行動するまでは、正直言って人と接した機会なんてなかった。 とはいえ………。 「おいおい、何も皆揃って言うことないだろう………。」 「あー、悪ぃ悪ぃ。別にそういう気はなかったんだわ。  ただおれは、宮守の言うことに頷いただけだ。」 『だから悪気はない。』『思ったことが口に出ただけだ。』 『自分には責任なんてものはない。』 …サラリと流すかのような井守の言い方に、大聖はイラッとする。 が、流石にまた敵意を剥き出しにするわけにはいかない。 そう堪えていたら、宮守が井守を叱るようにこう話し出す。 「最初に言ってしまったぼくが言うのもなんだが、  自分の発言にはちゃんと責任を持て。  自分が悪気なく言っても相手が傷ついてしまえばそれまでだ。」 「うー…、ったく、気をつけるっつーの。」 小さくげんこつを作り、それを井守のこめかみに軽く打つ。 それにより、今度は井守が機嫌を損ねたのか少しうっとうしそうにした。 いたずらした弟とそれを叱る姉、という光景に見えたエアリーはクスリと笑った。 指摘をし合ったところで、エアリーが一歩前に出て宮守と井守の前にしゃがみ込み、話し掛ける。 宮守と井守の背丈は、だいたい小学校高学年から中学一年生という具合だった。 「ねぇ、ところであなた達はなんでここにいるの?  さっき、わたし達が倭国へ行くって言ってたから気になったって言ったわよね?」 「ん?ぼく達か?」 自分の前にしゃがみ込むことで、少し下の角度から見上げるように話しかけたエアリーを見て、 宮守と井守が互いに顔を見て、すっかり忘れてたと言わんばかりの丸い目で返す。 「いや、おまえ達が行こうと言っていた倭国では今、  大蛇が出現して大騒動になってるという話だ。  それでも行く行かないはおまえ達の自由だが、これは伝えておこうかと思ってな。」 「(大蛇…!!?)」 「え?大蛇が暴れてるの!?それじゃあ、倭国に行っても入れないとか?」 「それは実際に行ってみないとわからない。  ただ…、身の危険を考えたなら、今は行かない方が賢明だと思うよ。」 エアリーが尋ねると、宮守が2人の前に現れたその理由を話した。 それを聞いた大聖は、物凄く驚愕した様子で宮守の方を向く。 『今は行かない方が賢明だ。』などと話したエアリーと宮守を見て、 大聖はあることに気付いた。…エアリーはそれに気付いていない様子だが、 ━━━━━宮守は、かつて老人から『退治してくれ。』と頼まれた大蛇に該当する種族であることを。 もう少し近くに寄り、宮守から人を食したと思われる血の匂いがすれば、 それは紛れもなく宮守が大蛇であることを証明するものにはなる。 それを調べようと近寄れば、『ガシッ。』と誰かに肩を掴まれた。 肩の装飾に、ぬるぬるとした感覚が走る。 自分の肩を掴んだ手は、小さめの蛙に触ったときの感触に似ていた。 「…うちの宮守に何か用か?」 大聖の肩を掴んだのは、ちゃらちゃらしていた先程の様子とは一変、 睨むようなキツイ目つきで自分を見ていた井守だった。 宮守の種族と、宮守と共にいる井守のこの様子から、 大聖は何かが怪しいと思うが、今は黙っておいた方がいいと、 「…すまない。別に大したことではない。」 「そっか。」 …と積極的に問い詰めることは避けた。 大聖が慎重な様子で返すと、井守からも素っ気ない返事が返ってきた。 「………まぁ、大蛇が暴れているとはいっても、鎮圧させらればいいことだ。」 「??」 怪しげなやりとりをしている大聖と井守のよそに、 宮守が1本の剣を取り出し、それをエアリーに見せる。 その剣に、武器好きであるエアリーが………、食いつかないわけがない。 「…えっ!!?ちょ、ちょっとこれどこで手に入れたの!!!?本物の剣!!!?」 宮守が持つ剣を目にした途端、回りにある物がすべて見えなくなってしまったかのように見入ってしまった。 そんなエアリーの様子を見て、宮守はコクリと頷き、井守はニヤリと笑った。 その2人組の反応も、大聖だけは見逃さない。 ━━━━━怪しい。この2人は決して単なる旅人などではない………。 「………ぼくは宮守。こちらの彼は井守。  ぼく達はこう見えて、かつては武器に携わっていた身だ。  …こう見えて、剣や刀の1本や2本は常に持っているんだよ。」 「へぇー!!じゃあ、あなた達武器のこと知ってるのね!!!  あ、わたしはエアリーで、こっちの獣人は大聖っていうの!!!」 怪しむ大聖の様子を知ってか知らずか、宮守の台詞に食いつくようにエアリーが話した。 単に名前だけを教えるならまだしも、他のことは教えない方がいい。 とはいっても、すっかり宮守の剣に見入っているエアリーに話させるわけにはいかない。 エアリーのハイテンションさに反って危険を覚えた大聖が、2人の間に割って入る。 「…な、なぁ。おまえ達…武器を知ると言ったが、  もしよければ倭国の連中に代わってそれを教えてくれないだろうか?」 「…あん?いきなりどうした?」 「大蛇騒動のせいで、倭国には行かない方がいいんだろう?」 「あ、大聖グッドアイディア!!倭国に入れないうちは、その方が安全だわ!!」 「………。」 かなり慌てた様子で大聖が言えば、井守が間抜けな表情(かお)で声をあげた。 いきなりどうしたと問われると、あたふたした様子ですぐに理由を返す。 ここで間が開くと、自分とエアリーがこの2人組のペースに巻き込まれることを防ぐ、 という密かな意図がバレるかもしれないと考えたためだ。 幸い、井守はそれを警戒している様子はなく、ボーっと大聖を見ていた。 大聖の提案に大きく反応を示したエアリーを見て、 宮守が剣を見せたまま少しの間考える。 エアリーのこの食いつきようと大聖の目的と提案を見聞きし、 ここはひとまず受け入れようと、少し困った様子で笑い、こう返す。 「…わかった。なら、この近くにぼく達の隠れ家があるから、そこに行こう。」 「ほんとっ!!!?きゃー!!!やったわ!!!」 「ん?いいのか宮守。あそこにおれ達以外の奴らを招いて。」 「今回は隠れ家のことではなく、この武器をはじめそれらのことを知りたいと言っている。  ぼくは別に構わないし、互いにとってもいいだろう。」 「そ、そうか…。それはありがたい…。」 ━━━━━なんか、その好意さえも不信に思う俺は考え過ぎか………? 『B-02 はじめてのかじ』に続く。